むかしむかし、ある村に音楽が大好きな若者が住んでいました。彼は牛を飼っていて、その牛に美しい音楽を聞かせることを夢見ていました。毎日、若者は牛を見ながら、「今日は牛に素敵な音楽を聞かせるぞ!」と意気込んで琴を持ち出しました。
しかし、牛はただ草を食べることに夢中。若者が琴を弾くと、牛は耳をピクッと動かすだけで、まったく興味を示しません。若者は「もっと上手に弾いてみせる!」と頑張りましたが、牛はやはり無関心。若者は何度も琴を弾き続けましたが、牛はいつも同じように草を食べるだけでした。
ある日、若者はふと気づきました。「牛に音楽を聞かせるのは、無駄な努力なんじゃないか?」と。牛は音楽を理解できないのだから、どんなに素晴らしい琴の音でも意味がないのです。このことから、村の人々は「対牛弾琴」という言葉を使うようになりました。無駄な努力をしても、相手には何の意味もないということを教えてくれる言葉です。
若者はそれから、牛に音楽を聞かせるのをやめ、代わりに他の人々に音楽を楽しんでもらうことを考えました。友達や村人たちと一緒に演奏することで、彼の音楽は多くの人に喜ばれるようになったのです。こうして、若者は「対牛弾琴」の教訓を胸に、新たな道を歩み始めました。