十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人
(とおでしんどうじゅうごでさいしはたちすぎればただのひと)

「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」の意味

子どものころは、とてもすぐれていると思われていた人も、成長するにつれて、ふつうの人になってしまうことが多いということ。

「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」の使い方

十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人にならないよう、兄は大学に入ってからも勉強を続けている。

小学生に理解できる「十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人」を使った物語

中学一年生のたいちは、小学生のころ、計算の速さで町の大会に優勝したことがありました。まわりからは「天才だ」とほめられ、たいち自身もとくいになっていました。

ところが、中学に入ると、数学の授業はどんどんむずかしくなりました。計算が速いだけでは、とけない問題がふえてきたのです。それでも、たいちは「ぼくは天才だから、勉強しなくてもだいじょうぶ」と思って、家ではほとんど勉強しませんでした。

最初の定期テストで、たいちの数学の点は、クラスの平均よりも低いものでした。たいちは、テスト用紙を見つめて、言葉が出ませんでした。

家に帰ると、おじさんが遊びに来ていました。たいちの話を聞いたおじさんは、自分のことを話してくれました。

「おじさんもね、子どものころはよく天才だと言われたんだ。でも、そこで勉強をなまけたら、すぐにみんなに追いぬかれてしまった。十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人、という言葉どおりだったよ。」

たいちは、はっとしました。自分も、このままではおじさんと同じになってしまうかもしれません。

その日から、たいちは毎日一時間、数学の問題にじっくり取り組むことにしました。計算の速さだけでなく、考える力をのばしたいと思ったのです。

次のテストで、たいちの点は大きく上がりました。たいちは、十で神童十五で才子二十過ぎれば只の人にならないように、これからも学び続けようと心に決めました。

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